座光の臼 御本尊をこの臼の上で安置して供養せられること四十一年間この臼から光明が輝いて居たのでこれを座光の臼といい、元善光寺の霊宝です。



 推古天皇の頃、信濃の国麻績の里(現在の飯田市座光寺)の住人、本多善光公が難波の堀江にてめぐり会った仏様をつれて帰り、どんな所へお祀りすれば良いのか考えましたが、臼より清らかなものはないだろうと、西の部屋の床の間に臼を置いて、その上に仏様を祀って四十一年の間親子三人で朝夕礼拝供養を致しておりました。如来様の御利益は広く世間にも知られるようになり、善光公は、村中の人たちと相談して粗末ながら小さなお堂を建て、如来様をお移しした。
 そして朝になってお堂へ行って見ると如来様の姿が消えていて、驚いてさがすと、元の臼の上に戻っておられた。又お堂を清めてそこにお移しすると、又帰ってしまわれるという事が三度続いた。そして如来様が善光公におっしゃった事は、たとえ金銀財宝で飾った立派なお堂に安置されても私の名を唱える物がいない所には住めない。私はいつも西にいる。善光公はそれを聞いて感激し、仏様を西の間の臼の上に安置して四十一年の長い間供養した。
 皇極天皇の頃、芋井の里(現在の長野市)に移せとの如来様のお告げを受けた善光公は、自身で仏様を移し、勅命によって立派なお堂を建てて、自分の名をもって善光寺と名づけた。そして座光寺に残された臼から、光明がさして光り輝いていたのでこれを仏様の台座が光ったのだから即ち「座光の臼」と呼ばれ、元善光寺の宝物殿に今も残っております。
 ちなみに地名の座光寺というのは、この「座光の臼」から出たという説もあります。小学校の国語の教科書に「光る臼」という題で、このお話がのせられていた事もあります。